インタビュー

増田 博和

INTERVIEW

増田 博和さん

日本や香港、アメリカなどで10社の会社設立を経験し、春からMBA取得に向けて大学院に通うプロ経営者、増田社長に
これまでの経験やこれからの挑戦について伺いました。

学生時代の増田さんについて教えてください、学生の頃から企業に関心があったんですか?

いや全然でしたね。学生時代はずっと音楽をやっていました。中学時代からずっとバンドを組んでいて勉強なんか真面目にしていませんし、色々なところでライブとかをしていて、『どうやったらプロのミュージシャンになれるかな』ってずーっと考えていました。だから当時は自分が将来会社を経営するなんて思ってもみなかったです。音楽の道を諦めたのは大学の時でした。実は僕、大学に6年在籍していて、そのうちの2年間は休学していたんです。その休学の間に、音楽で食っていくのは僕にはちょっと無理だなって悟りました。周りのプロになれるような人は、最初からやっぱり突出した才能があるなと思って、そういう人を横目で見ながら地道に努力して頑張っていくのをかっこいいって思う人もいるけど、僕はお金のない下積み時代を過ごすのがすごく嫌だったんですよね。そういう生き方がかっこいいと思えなかった。地道に努力して結局うまくいかないのが嫌だったので、音楽は諦めて就職する道を選びました。

就職活動をする際、会社選びで重視したことは何かありましたか?

ひとつはしっかり稼げる会社ということですね。音楽をやめて中途半端にフリーターになって、とりあえずの生活費を稼ぐとかはしたくなかったので。あとは大学在学中の6年の間にワーキングホリデーで英語圏での生活をしたりしていたので、英語を使える仕事っていう条件は自分の中に設けていました。そのふたつの軸で就職活動をしている時に、求人雑誌を見ていたら海外要員として雇いますよっていう専門商社の求人を見つけまして、その時ちょうど就職が難しい時期でそこの会社も結構倍率が高かったんですけど、無事そこの会社に就職することができました。

商社で海外派遣だと結構稼げそうですね!

そう、それでね、その会社がシンガポール支店を作るということで僕ともう1人が採用されて、1年後にどちらかを海外派遣しますっていうことで入社したんです。でも入社してすぐくらいの時に、アメリカで9.11のテロが起きてしまって、その時にちょっと今は海外いいかなって思ってしまって「僕海外行きません!」って会社に言ったら、シンガポール行かないんだったらってことで住宅手当とかをガッツリ減らされたりしてしまいました笑

増田 博和左からノーベル賞を取られているDr. Edward Taub、増田さん、友人で画家のTHEO HAZEさん、お客様のMarvin Winklerさん

そんなことがあったんですね笑
入社されてからはどのようなお仕事をされていたのですか?

入社して商品開発部に配属されました。入社から1年くらいは研究所に通っていて、理系出身でもないし全く科学の知識もないのに薬品の配合とかをしてました。会社的には全く知識ない方が柔軟な配合ができるという考えだったみたいです。そこの会社は鉄工所とかに何千度とかすごく熱い環境でも燃えないバーコードを開発している会社で、その熱の温度とかによって配合を変えてどんどん品番を増やしていこうという時だったので、色々な配合を試して開発しようとしていました。でも結局全然作れなかったですけどね笑

1年くらい研究所に通ったあとは、営業みたいな感じで働いていましたね。今では家電とかもほとんどが中国製ですけど、20年前とかは日本が世界の16%くらいの家電を作っていた時期だったんです。そういう時代だったのでソニーさんのいまは亡きブラウン管を作る工場に行って、さっきの燃えないバーコードを貼り付ける機械を設置したり、シンガポールにもソニーさんの工場があったのでそこで打ち合わせしたりとかやっていました。

商品開発部に配属されたということですけど、在職中は他にどんな商品を開発していたんですか?

旭化成さんだったり他のケミカル系の会社さんと仕事をしていて、独立してからも続けたスマートフォンとかの液晶保護フィルムだったり、韓国でフェイスパックを作ったり、半導体とかのクリーンルームで使うワイプだったり色々と作っていました。

液晶保護フィルムもフェイスパックもめちゃくちゃお世話になってます!

そうですよね。最近は日本でもフェイスパック普通に売ってたりするけど、当時韓国でフェイスパックを作ってた時は日本に全然なかったんですよ。だからもし当時韓国で作っていたものを自分で輸入して販売とかしてたら儲かってただろうなと少し悔やんだりしています笑

いろいろなヒット商品の開発に関わっていたと思うのですが、その後独立しようと思ったのは何故だったんですか?

会社に勤めているとボーナスの時期に社長と面談とかするじゃないですか。成績はこれで、こういうところに問題があって、ボーナスはこれくらいですよって。当時僕は全社員の中でも、5番目くらいの利益を獲得していたので、もっと給料もらえてもいいんじゃないかなと感じていて、平社員から主任に上がるタイミングの面談の時に、「何年後に主任から次の役職に上がれるんですか?」と聞いたら、そこの会社には年功序列的な考えが色濃く残っていたのか、社長からは「もし100点の成績を出し続けたとしても、役職は3~5年は上がらないよ。」という返答だったんです。お給料って役職によってだいぶ決まるところがあるので、「役職が上がらないってことは、3〜5年は僕の給料は上がらないってことですか?」と聞いたら「そうだよ。」と言われてしまって。そこでその人が、「年間ちょっとずつでも上がるよ。」とか言ってくれていたら続けてたかもしれないですけどね。上がらないって言われたらもうやめちゃいますよね。

辞めると決めてから最初は転職を考えましたけど、転職となるとやっぱり今の会社よりはいい会社に行きたいって思いますよね。でも今よりいい会社に行こうとなると、給与を決定するのにも学歴が他の人と比べるポイントになってしまう。たとえ仕事をうまくやったとしても、学歴が足枷になることはあるよという話を聞いて転職の選択肢はなくしました。そもそも前社をやめようと思った理由が、自分が生み出している利益に対する給料に問題意識があったところだったので、そこでまた今より大きな会社に就職したとしても一気に2倍、3倍になるわけでもなく自分で独立して稼がない限り飛躍的に給料を伸ばすことっていうのはできないなと思い独立を選びました。

独立した際の裏話とか何かありますか?

そんな感じで仕事を辞めたので独立に向けてすごく準備してたというわけでもなくて、資本金も自分で持っていなかったので、妻の両親に支援をお願いしに行きました。3ヶ月に1回くらい新規案件取って、1年後、2年後にはこうしてみたいな事業計画書を作って、それを妻の両親のところに持って行って、こういう感じで事業をやりたいからお金貸してくださいというようなプレゼンをしたら、「わかった。じゃあやってみろ。」って言ってくれたんですよ。30歳の若造が計画書を持ってきて何年後かには1億売り上げるみたいなこと言ってたら、普通だったら「そんなことやめて、どこかの会社に勤めたら?」とか言われると思うんですけど、「300万出してあげるからやってみなさい」と言ってくれました。それがなかったら本当に今はないだろうなと思いますね。

増田 博和左から増田さん、EDMミュージシャンのSteve Aokiさん、アメリカの会社のパートナーで杉崎健司さん

独立してからグループ会社として会社をいくつも立ち上げてすごく大変だったと思うのですが、一番辛かったなという経験を教えてください。

いっぱいありますよ。お客さんにめちゃくちゃ怒られて帰りの新幹線がなくなって、朝までずっと歩いてましたとか笑
でもやっぱり一番は会社の立ち上げですね。さっき話した妻の両親からのお金も半年くらいで無くなってしまって、それでもお客さんが全然取れなくて、お金がなくてしょうがないから昼間は普通に会社で働いて、夜は塾講師のアルバイトをやって、塾講師で毎月10万くらい稼いで何とか家計の足しにするっていう生活をしていました。でも不思議なんですけど、そんな生活していても全く失敗する気がしなかったんです。過信とか慢心はダメだよってよく聞きますけど、今考えるとそういう部分がないと成功しないのかもしれないなとも思います。そういう感じで続けていったら1年目の前半は売上ゼロでしたけど、後半になって2千万くらい売り上げができてきて、2年目になった時に前の会社から戻ってこないかって言われたりしました。でもその年に4千万くらい売り上げができそうだったので今ここで戻ったらダメだろうなと思って戻らなかったですけどね。2年目以降は順調に売上を倍々で増やしていくことができるようになったので、やっぱり最初の方が一番辛かったです。

しばらくしてそれまで展開してきた会社を売却したと思うのですが、寂しい気持ちとかはなかったですか?

自分としてはそこでチャレンジをやめるつもりではなくて、また新しいことをしようっていう想いがあったからそんな寂しいとかは思わなかったです。ただ、今まで『増田社長』って呼んでくれていた社員たちが、『増田さん』って呼ぶようになったりして、そんなにサクッと変わるのねみたいなのは思いました笑。確かにそこの会社の社長ではなくなったけど、当時もいくつか会社を持っていてそこでは社長だから社長って呼んでもらっても全然問題ないんだけどなとは思いました。あとはまあ会社のロゴが変えられたりとかしてて、もう自分の会社ではなくなるんだなとかそういうのはありました。

4月からMBA取得のため大学院に通われると伺いました。これからの展望や目標を教えてください。

現状では一回会社成功しました。で終わってますけど、昔からのお客さんに「お前がうまくいったのはお前がうまくやったからではない。どっちかって言ったら俺のおかげだ。」とズバッと言われたことがあります。お客さんが商品をたくさん買ってくれたから上手く行ったし、スマートフォンが世の中になかったところから市場が大きくなっていく時期に液晶フィルムを扱っていたから運が良かっただけだと。まあ、確かにそうなんですよね。だからこそ『もう一回成功させたい』という想いはずっと持っていました。
でも30歳の時みたいに勢いで独立するとか、そういうメンタルではないんです。絶対失敗はしたくないという想いが強くて、成功すると思えるような事業でないと手を出せないし、外部環境というか社会的需要というものも揃ってないと成功はできないと思っているからタイミングも大事だしみたいな。今の所これなら絶対成功できるという事業に巡り合えていなくて、これから巡り会える保証もない。もしそういう事業に巡り合えても、その時に自分の準備ができていなかったら成功はできない。なんてそんなことをぐるぐると考えていた時に、「プロ経営者」というキーワードを知りました。プロ経営者であれば、事業の巡り合わせ問題を回避することが可能です。会社の巡り合わせという難しい問題は出てきてしまいますけどね笑。その会社が積み上げてきたものにサポートして頂きながら、僕の経験が活かせるのであれば、そんなハッピーなWin-Winはないなと思いました。それにはまず、自分がプロ経営者を名乗れる状態になっておきたいと思いMBAを取得しようと決めました。周りからしたら10社近く会社を立ち上げて、M&Aをして、起業や経営の一連の流れを経験しているので「十分じゃない?」と言われることもありますが、経営セミナーを受けた時に自分の持っている経営の知恵とか知識とかっていうのがまだまだだなと痛感したんです。自分の経験として持っているものが、どうしてうまくいったのかという背景や戦略に対する知識も足りないと思いますし、自分がまだ経験していないことに関しても、これから成功するための道の中でたくさん起こってくると想定すると、MBAが必要だなと思いました。そういう知識がない限り、「たまたまうまくいっただけでしょ。」と思う人もいるだろうから、経験と知識を両方持っている状態にして、『プロ経営者』ですと名乗りたいと思っています。MBAを取って、あわよくば自分で成功できそうな事業も探したいし、その巡り合わせがなければ誰かから要望された時に、その会社の価値を最大化させていくサポートをするのが自分の次のチャレンジです。
うん。そうだね。会社を経営するのに運ってあると思いますか?

運ですか!そうですね、運はあると思います。その運を掴めるか掴めないかなのかなと思います・・・。

なるほどね。ある経営学者さんが会社の経営における運についての研究をしたら、運っていうのは全ての会社に平等に起こっているという結果になったんです。成功して業績がいい会社にだけ運があったのではないと。じゃあ、運が平等だったら成功している会社とそうでない会社で何が違うのかっていうとその運が訪れるまでにどれだけ準備をしていたかというところで違いが出てくるんですって。同じ業種の2つの会社があってA社は業績が良くてB社は業績が悪い。でもこれはA社にだけ運があったから成功したのではなくて、2つの会社に平等に運は訪れていたけど、その運が訪れる前にA社はしっかりと準備をしていてその運を掴み取って成功することができた。B社はできなかった。ってことなんですって。これって会社だけに言える話ではなくて個人にも言える話ですよね。例えばアメリカ支店を作りますって言った時に、アメリカ支店で働きたい人が3人いました。3人とも海外経験はあるけれども、3人中2人は英会話レッスンをしていませんでした。でもその中の1人だけは毎日コツコツ英会話レッスンを続けていました。じゃあ今からアメリカに行く1人を決めるために、ディスカッションをしましょう。そこで一番うまくやれた人がアメリカ支店に行けますよってなった時に、やっぱり毎日コツコツ準備していた人が勝ちますよね。そういうふうに運はみんなに平等にあるけど、それに対してどれだけ準備ができているかでその運を勝ち取れるかどうか、なおかつ勝ち取ってその運を倍にしていけるかどうかっていうのが決まるんですって。僕この話が結構好きなんですよ。『幸運は用意された心のみに宿る』ってどこかの学者さんも言っていますし。本当にそれに尽きると思います。

最後に、読者へメッセージをお願いいたします。

そうですね、やっぱり大事なのは準備と努力ですね。僕は最近、簿記3級を取りました。決算書とかざっくりとは読めますけど、細かいところだったり、経理の人たちの言っていることがわからなかったりがあったので勉強して取ったんですけど、それもまあ自分の中では一つの準備ですよね。MBA取りに来ている子たちはみんな持っているだろうから。あとはAIとプログラミングの勉強もしています。これからの会社はITと全く関連のない会社であっても、ITだったりテクノロジーの分野を持った組織にしておかないと勝てないと思っているので。そういうふうに準備するための努力を怠らない、ちょっとした努力であればなおさら怠らない方がいいと思います。めちゃくちゃ努力しないと得られないものっていうのはしんどいかもしれないけど、ちょっと努力して得られるものだったらどんどんやっておいた方がいいと思います。

増田 博和アメリカの会社の共同設立者、杉崎健司さんと増田さん

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