インタビュー

梅谷 雄紀

INTERVIEW

梅谷 雄紀さん

現在Beyond X株式会社のCCOとしてご活躍の梅谷 雄紀さんにBeyond X株式会社を立ち上げるまでの様々な挑戦について伺いました。

学生時代から企業に携わっていたとのことですが、どのようなことをしていたんですか?

僕は2007年に社会人になった世代なのですが、当時ホリエモンのライブドアという会社がありまして、日本放送を買収するとか、野球の球団を買収するとかで世間を騒がしていた時代でした。どこかの大企業に入社するとかではなく、自分たちでビジネスをやってあそこまでの経験されてきた方々を横目に見て、そういう学生起業みたいなものが当時流行り出していたんです。色々な大学の、起業とかビジネス関連に興味のある学生が集まるインカレみたいなものがありまして、そこで出会った面々と有名大学のサークルを束ねて学生コンテンツを配信したり、学生を使ったイベントを開催して企業からのスポンサー集めてプロモーションしたりそういったことをしていました。

大学卒業後はそのまま起業の道には進まなかったのですか?

周りの友達にはそのまま起業の道に進んだ人もいましたけどね。僕は「このままでいいのかな?」と自問自答する機会があって。なぜこのままでいいのかと考えたかというと、ちょっと知らないことが多いなということと、ちゃんと社会に出た方がお作法を含めて学べるんじゃないかなと思ったのでこのままやるよりは全然違う環境に行ってしっかり修行しようと思い、就職する道を選択しました。

新卒で就職してからはどのようなお仕事をしたのですか?

新卒で入った会社は現在のパーソルキャリア(旧:インテリジェンス)という会社でした。仕事内容としては中途採用支援するという形で、企業が人を採用したいといったときに様々な手法を提案して、人材を採用していくお仕事です。当時は法人営業のお仕事だったので、dodaという転職サイトをいろいろな企業さんに売り込んでいました。

梅谷 雄紀

その後インテリジェンスは退職されたんですよね?

そうですね。3年勤めて、そろそろ独立しようと思ってやめました。でもその時は結局独立しなかったんですけどね。

その時は独立をやめてどうされたんですか?

インテリジェンスって創業者が4人いて、その中の1人に鎌田さんという人がおりまして。僕がインテリジェンスに入社した当時はその鎌田さんが社長だったんですけど、その鎌田さんが経営していた不動産投資の会社で馬力のある若手を探していたということがあってそちらの会社に入ることになりました。僕がインテリジェンスに入社した時は5000人規模の会社で、当時新卒3年目の僕にとって鎌田さんは5000人のトップにいるものすごい人っていう印象だったんです。その鎌田さんが、30人くらいの規模の会社をやっていると。なので鎌田さんから「うちでやれば?」っていう話をもらった時に、インテリジェンスを4人でスタートしてから5000人まで大きくして、上場までしている人のもとで修行するのもいいかなと思い、一旦起業を辞めてそちらの会社でお世話になることに決めました。事業に興味があったとか不動産投資がやりたかったとかではなくて、鎌田さんのもとで仕事をすることを目的にやっていたので、不動産投資とか全然知らなかったですし、免許も持っていなかったので急いで勉強して、業界の構造とかも覚えながらやっていました。

特に興味があったわけではないということでしたが、不動産投資会社でのお仕事はいかがでしたか?

当時の僕は起業したいと思ってたぐらいだったんでそれなりに自分に自信がありました。自信があったので不動産投資なんで簡単でしょという思いで入社させてもらったんですけど、やってみたら最初の約半年間は数字が1円も挙げられなかったんです。挙げ句の果てにリクルーティングしてくれた鎌田さんに呼び出しをされて、「お前そろそろやばいぞ。来月結果出なかったらクビだよ。」と言われてしまい、その時にこんなに成果って出し難いものなんだ、これまではいわゆる会社の看板で仕事をしていたんだなと感じて、これはやり方と発想を変えなければと考えるようになりました。そこから自分なりにマーケットを捉えるということと、どうすればビジネスがうまくいくのかという本質的なスイッチを探しにいった結果、目標としていたことを達成し、その後も外すことなく結果を出せるようになり、その事業を1人で牽引できるくらいまで成長することができました。それでまた自信がついてきたので27、8歳の時にまた鎌田さんに「僕にこの事業の全権を任せてほしい。」だったり「部長より僕の方ができる。」というような生意気なことを言っていたんです。そうしたら鎌田さんには「チームを作って物事を動かした経験がないから、お前はまだ全然やれていない。」と言われてしまい「だったら僕に人事権全部ください!」とお願いしまして、採用や人事を全部任せてもらうことになりました。そこから色々な人と会って、優秀だなと思う人には入社してもらってチームを作って、社内の新規プロジェクトには全部僕が入るようにして、それまでやっていなかった新卒採用を始めたり、インターンのプログラムを作って開催してみたりとビジネスを大きくする基盤みたいなところを作っていきました。現在色々な経験をさせていただいて本当に修行になったと感じています。

そこから独立して最短上場を目指すきっかけは何かあったんですか?

鎌田さんのところで、一通りやったなと感じていた時にたまたま学生起業をやっていた時の仲間から「会社を始めたからちょっと手伝ってほしい」と連絡がありまして、最初は不動産投資の会社の方には内緒で休みをうまく使ってお手伝いしていました。しばらく仕事をしながらその友人のお手伝いをしたり、2人で事業を立ち上げたりして売上が伸びてきている中で、当時の彼から「そろそろサラリーマン辞めていんじゃない?一緒にまたなんかやろうよ。」という声が大きくなってきて、29歳の時に鎌田さんに「時が来ました。独立させていただきます。」とお伝えして、独立しました。

独立して最初の会社は学生起業時代に出会った4人で会社を作りました。そこから1年くらい経った時に、そこそこ稼げるようになってきたと。けれどもせっかく始めたのに大きなことが全然やれていないなと。起業したからには、世の中に価値があることやりたいよねって考えていた時に、当時スマホのカジュアルゲームという簡単なゲームが流行っていて、そういったものを使ったビジネスがあると僕の友人が持ってきてくれたんです。それはマーケット的にも割と価値がありそうだと。その時に、その事業で法人化して上場を目指すか、現状維持で非上場でも自分たちのやりたいことだけやるのか、どっちがいいかという話になりまして。僕としてはサラリーマンを辞める時には、自分が社長であることが大事だと思ってやってみたものの、結果自分が社長であってもやることは自分の得意なことをぐるぐる回すだけであんまりうまく仕組みになっていないなと当時感じていました。なので、うまくいっていないと感じながら続けるよりも、組織や仕組みを新しく作って世の中に価値あるものを提供できる方がいいんじゃないかなと思い新しく会社を立ち上げて上場を目指す道を選びました。しかもやるなら最短で上場しようと決めて、そのまま上場準備に入って2018年の9月に創業4年でマザーズに上場し、上場するならてっぺん目指そうということで東証一部鞍替えまで創業から5年で達成しました。

上場前と上場後で感じた変化は何かありますか?

やはり何者でもなかった会社が社会的信用を得られたという点では実感がとてもありました。例えば金融機関からの見られ方もそうですし、採用面で言えば候補者の方や候補者の関係者の方からの信頼が非常にポジティブになったこともそうですし。ビジネス面でもどこかと提携するといった時に、例えば海外の会社は日本で上場していなければ提携できないとかがありますし、上場していた方が資本業務提携の話も進みやすくなったりします。もっと細かい面で言うと、上場前の何者でもなくて信頼がなかった時に、家族を説得してまで入社してくれた社員への恩返しというか、いい結果が出たよという報告もできたことも大きい出来事だと感じています。時間はかかりましたけど、世の中の方に評価をいただき、それを1人でやったわけではなくチームでやれたということにおける達成感としては非常に大きなものがありました。自己満足ではなくちゃんと社会の一部になれたというのが嬉しかったですし、少し青臭い話ですけど、何者でもなかった学生時代の二十歳そこそこの普通の大学生で関係がスタートした仲間たちが大人になって、世の中に何かを残すことができたというのは個人的に上場して感じたポジティブなことの一つです。そういった経験のおかげでまたいろいろなチャレンジができるっていうのもありがたいなと思います。

梅谷 雄紀

その後最短で上場を果たした思い入れのある会社を離れたのは、どのような考えがあったのですか?

当時の僕のミッションは会社の価値を上げることだったので、東証に行けたということと、数名で始めた会社がアルバイトを含めて150人くらいの組織を4、5年でつくれたということ、それを自分たちで作りあげたという自負があったのである程度僕としてもうやり切ったと感じていました。それに加えて上場の時33、34歳だったんですけど、まだまだ働けるなと思っていまして、その時にこれから何を世の中に還元していこうと考えた時に、このまま世の中に評価されている立場のままよりは、これまで経験したものをまた次に投資して、また違う経験を積むことで新たに価値提供できますし、自分としてもいい経験ができるなと考えたので退任して新しいことにチャレンジすることに決めました。あと、僕は何もないところに道を作ったり、走れるように舗装して走ってもらう仕組みづくりの方が好きだったし得意だったので、それ以上の何かを作ろうと思った時に僕よりも適任がいるなと思いました。得意をやり切ったという観点でいうと別の方にバトンを渡した方がいいな、ずっと居座って窓際役員みたいになるのはちょっと嫌だなと思ったので退任しました。

何度も挑戦する理由やモチベーションは何でしょう?

振り返ってみると、新卒の就職活動の時にインターンをやっていたんですけど、その振り返りの時にインターン先の役員の方に言ったのが「この人生で何かを残したいと思っている。」と言ったんですよね。それは会社なのか、事業っていう形態なのかそこはまだぼんやりとしていて見えていなかったけど、「何かを残したい。」と21歳くらいの時にそういうことを言っていました。あと学生企業のきっかけがさっき話したように、色々とダイナミックに世間を騒がしていたホリエモンだったので、やるならとことんやりたいっていう気持ちが根底にあったんだと思います。僕は一回これと決めるとあんまり脇見しない人なんで、決めてからはそれ以外のことを考えることはほとんどありませんでした。

今後の目標として何か考えていることはありますか?

仕事に関して言うと、長寿起業を作りたいと思っています。僕らはたまたま最短で上場をして、いわゆる短距離走をやったと考えています。ですけど、もともと何かを残したいと思った時には長距離走になると思うんですよね。長寿起業ってどう言うものかを本質的に分解してみると、変化し続けることも大事だし、経済回すことも大事だし、人を大事にすることも大事だし、社会に貢献することも大事だと。この4つを見出せることをやらない限り長く続かないから、それが僕が持っている経験値と実績をもとにチームを作ったり、その中で色々な変化やチャレンジをしながら作り続けられたらいいなと常に考えています。

最後に読者にメッセージをお願いします。

僕は人それぞれ能力の差はそんなにないと思っていて、何かをするのに学歴だったりバックグラウンドも関係ないと思っています。何かを成し遂げたいと思ったらやはり誰とやるかが非常に大事だなと感じますし、何をやるかより誰と、どのように、どこまでやるかっていうのをしっかり決めてやれば成し遂げられないことはないんじゃないかなと思っているので、何かをやりたければいい仲間を探して頑張りましょう。っていうのが伝わればいいかなと思ってます。

梅谷 雄紀

企業紹介

Beyond X株式会社
https://beyondx.co.jp/

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