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東京オリンピックに向けて

東京支店コラム

2020年、いよいよ国民が楽しみにしている東京オリンピックが開催されます。
日本国内で開催されるオリンピックは1964年の東京、1972年の札幌、1998年の長野に次いで4回目となります。
 アジアで4回もオリンピックが開催されるのは初めてで、世界でも2回以上オリンピックが開催された都市はアテネ、ロサンゼルス、ロンドン、パリと5都市しかありません。
それだけ、東京と言うのは世界でもある程度の地位を築いた都市と言えるのではないでしょうか。その中でも3回もオリンピックを開催する都市はロサンゼルス(2028年開催)のみです。しかし、実は3回目である事をご存じでしょうか。
 歴史を遡ること、1964年から約20年以上前の1940年に東京オリンピックと札幌冬季オリンピックの開催が決定していたのです。しかし、前年に始まった第二次世界大戦、日米の関係悪化に伴い、このオリンピック開催を返上せざるを得ない状況に陥ってしまったのです。戦争でオリンピックの開催が中止になったのは1916年第6回大会ベルリン大会以来2度目でした(実際には1944年のロンドン大会も中止になった為3回)。中止になったいずれの都市が敗戦国と言うのが皮肉なものです。戦争は全ての物を不幸にしてしまいます。
 オリンピックは世界平和の祭典と言われています。真の意味での世界平和が訪れるのがいつになるのかは未だ分かりませんが、せめてオリンピックの開催期間だけは世界中が平和になって欲しいものです。
東京オリンピックに向けて

僕の地元

東京支店コラム

こんにちは。アイアール須藤です。
今回は僕の地元の埼玉県川口市について紹介します。

埼玉県の「中央地域」と呼ばれる県南東部のJR京浜東北線・高崎線沿線地域(旧北足立郡地域)のうち、南端に位置する市の一つです。

北隣のさいたま市、南隣の東京都区部に挟まれた位置にあり、東京都の足立区と北区と隣接し、さらに西は蕨市と戸田市、東は越谷市と草加市にそれぞれ接してます。

川口における市街の形成は、江戸時代に日光御成街道の宿場が置かれていた川口宿(現:本町一丁目周辺)に端を発する。近代以降は、中心部において既に地場産業として根付いていた鋳物工業が、旧川口宿の東側・北東側を中心に集積・拡大し、川口は工業都市として発展しました。その一方、東京の都市域の拡大に伴い、宅地化も急速に進展した。近年、鋳物工場は新郷地区等への移転や廃業に伴って減少し、跡地の多くで超高層マンションをはじめとする高層の建築物が建てられています。なお、市の東部や北部は、今でも自然が残っています。

また、川口市で地理的な中央部にある鳩ヶ谷地域(旧鳩ヶ谷市)には江戸時代の旧鳩ヶ谷宿という、川口市の中央地区における旧川口宿とは異なる歴史や伝統があります。鳩ヶ谷駅東口の鳩ヶ谷本町付近においては歴史的な建築物や町並みが現在でも残存しています。人口増加による無秩序な市街地拡大を防ぐため、芝地区や戸塚地区では区画整理事業が進んでいます(埼玉県の土地区画整理事業一覧)。 東部地区(戸塚、神根、安行、新郷、鳩ヶ谷など)は大宮台地鳩ヶ谷支台が南北に走る高台になっています。それ以外の殆どの地域は低地であり(川口低地)、その低地は縄文時代において奥東京湾(鳩ヶ谷支台の西側の水域は「古入間湾」とも呼ばれる[2])の底であった(海面が現在よりも高く、河川による沖積・陸地化も進んでいなかった時代で、一般に縄文海進と呼ばれる)[3]。現在、低地部分は住宅地などの都市的な機能、台地部分は畑・樹木畑など近郊型農地としての土地利用が多いです。また、芝川が市域中央部を縦断するように流れてます。芝川は、市中央部で、新芝川に分かれています。
埼玉県川口市

ご褒美ご飯

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今日は天気良い週末です。
引越しと新環境に慣れるまでの間、外食とインスタント食品の日々が多かったので、家族全員へのご褒美のため
韓国の外食メニューの「チクタク」を作ってみました。
それでは早速作り方を公開していこうと思います。

チクタクレシピ
韓国では普通丸1匹と鶏肉を段切りして作りますが、日本のスーパーでは売っているところが少なくて
今回は違う食感を感じる為に、手羽先とモモ肉の2種類を選びました。
鶏肉はきれいに洗ってから、牛乳と塩コショウで10分ほど漬けておくと柔らかくなるので、やってみました。
さつま芋の春雨も事前に水に漬けておきます。(写真撮り忘れ)

チクタクレシピ
漬け置き準備できたら、「チクタク」に入れる野菜の準備を行い(今回はジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、エリンギ)、
ソースも作っておきます。
ソースの作り方:
濃口醤油10スップン、砂糖3スップン、料理酒3スップン、ごま油少し、ニンニクみじん切り、ネギみじん切り、水少しで完成!
(※色を少し黒くしたい場合は黒砂糖に変更)

これからは本番のスタート~
お鍋に洗った鶏肉と完成したソースを半分ほど入れて、水を肉の浸するところまで加えて、煮込んで行きます。

チクタクレシピ
一回涌いてきたら、用意した野菜を固い方から入れ始め、半熟になったら、残りの野菜も全ていれます。

チクタクレシピ
あとは、中火に設定して汁が減るまで煮込んで行きます。(途中でさつま芋春雨も入れる)

チクタクレシピ
これでビールにも御飯にも合う「チクタク」完成~

織田・豊臣・徳川

東京支店コラム

「織田がつき羽柴がこねし天下餅。座りしままに食うは徳川」
また
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
これは戦国時代の英傑、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康も評した言葉である。
織田、豊臣、徳川。この3人、いずれも天下を目指しある意味天下を取った3人である。
では何故、最後に徳川家康が260年続く太平の世を築けたのか、何故、織田、豊臣政権は短命に終わったのか、これを検証してみたい。
この3人の中で、一番の違いは、その家臣団である。
織田信長は尾張守護代配下の4奉行織田家の中で頭角を現して来た由緒ある家系ではあるが、その家臣団は実力主義の中で頭角を現し、ある意味外様と言える明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益と言った新参家臣の出世の反面、平手正秀、佐久間信盛、柴田勝家と言った譜代の家臣をないがしろにした結果、新参家臣の明智光秀に滅ぼされてしまいます。

豊臣秀吉はと言うと、そもそも百姓からの成り上がりである為、その個人的なカリスマ性だけで天下を取り、譜代の家臣を持たなかった故に、彼の死後は古参の大名がこぞって家康に寝返り、1代限りの天下となってしまいました。

では家康はどうでしょう。井伊直政といった新参家臣の取り込みはあったものの、本田忠勝、本田正信、榊原康正、鳥居元忠といった家康が駿府での人質時代から苦労を共にした家臣達も同様に重用し、バランスの効いた家臣団を形成していきました。結果、石川数正と言った寝返り者が出たとしても、その結束は崩れること無く、徳川260年の天下を築けたと言えます。

これは現代社会でも同じことが言えるのではないでしょうか。会社を発展、安定させるには勿論、外からの新しい風を入れる事も重要ですが、昔から苦労を共にしてきた部下も重用し、新しい斬新な意見と、古い昔からの意見を上手く融合させて会社を築いて行く。その結果として、その会社全体の成長が見られるのです。
新しい風と古い風、この二つの風を、いかに迎合させて、会社の統一した意見に持って行くか。これは一重にそのトップに立つ人間の度量と言えるのではないでしょうか。

織田・豊臣・徳川

外国人労働者雇用

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こんにちは、今回は外国人雇用に付いての第二弾です。
一口に外国人雇用と言っても世界には国連に加盟している国だけでも193か国(2017年10月現在)あります。その全ての外国人が日本に来て仕事をする訳ではないのですが、何気に多くの外国人が日本で仕事をしています。
自分が携わった外国人ではルーマニア、トルコ、シエラレオネ、ブルキナファソといった普段では殆ど関りを持つことが少ない外国人と仕事を共にして来ました。色々な国が有りますが、どの外国人にも共通して言える事は、皆んな日本が好きで夢を持って来日していると言う事です。そして平和な国、日本で頑張って行きたいと言う気持ちです。

ある日、ルーマニア人の女性と仕事前に話す時間があり、内戦時代の事を話していた時、お母さんが看護師で、自分の危険も顧みず、街中で怪我をしている一般人を必死で看護している姿を毎日見ていたと涙ながらに語ってくれました。正直、仕事前にまずい事聞いたなと反省はしたのですが、改めて日本の平和に感謝した一日でした。

そんな日本に大きな夢を持って仕事を探しに来ている外国人を雇用するのも、私たち派遣会社の使命ではないかと個人的には考えています。外国人はその国その国によって文化や風習が違うと前回述べました(ちなみにあるコンゴ人は和式トイレの便座に普通に後ろ向きに座って用を足してました。それもドアをオープンにして(#^^#))。

しかし、そんな外国人に日本の文化を教えるのも私たちの仕事です。どんな人も誠意を持って話せば必ず真意は伝わります。外国人も同じです。よく外国人は生活のマナーが悪いと言われていますが、それは教えていないからです。少なくとも、私の携わった外国人は一生懸命話せば必ずそれに従ってくれました。

誠意を持って相手に接する。これは外国人に限らず、私たち日本人に対しても必要な事なのではないでしょうか。
外国人労働者雇用

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