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夏の全国高校野球選手権大会

東京支店コラム

今年も8月6日から夏の甲子園が開催されます。第一回から数えて今年で101回目、歴史を感じさせます。

かく言う自分も今から30数年前は高校球児でした。勿論控えですけど。(誰も信じてくれませんが(>_<))。
自分がいた頃の高校は2年上の先輩がドラフト2位で広島へ、同級生が1位で近鉄に入団する程、超強豪チームでした(これも誰も信じてくれませんが)。
しかし、自分がいた3年間では一度も甲子園には出場できてません(その後2回出場しています)。

その中でも自分が3年生の夏でした。
下馬評では甲子園絶対と言われ、事実、準々決勝で甲子園常連校に延長の末、サヨナラ勝ちを収めた時は、間違いなく行けるものだと思っていました。

そして準決勝、相手は県内でも有数の進学校。勿論、甲子園経験はありません。
正直、勢いでここまで来た感じの高校でした。自分たちも、その時点で既に決勝を見据えた動きを取っていました。

そして迎えた試合当日、結果は1対0の完封負け。
初回に1点を取られ、そのまま試合終了と言う、いわゆるスミ1の試合でした。
強豪校に負けるならまだしも、何故、あの高校に・・・。
後悔先に立たずの試合であった事は30数年経った今でも忘れられません。では敗因は何だったのか。
今、考えると、やはり気の緩みだったのではないでしょうか。
1回に1点を取られ、まだまだ逆転の機会は有ると高をくくった結果が、敗戦に繋がってしまったのではないかと
どんな相手であってもどんな仕事であっても、最後まで全力で取り組む事の重要さをしみじみと考えさせられた経験でした。
これから、皆さんも色々な仕事を色々な人と一緒にやる事が出て来ると思うのですが、
気を緩める事無く、何事にも全力投球を忘れずに取り組んで行けば、必ず結果は出るものと信じています。
今回は青春時代の苦い思い出を語らせて頂きました。
※写真は第98回大会優勝の作新学院、我が子の母校です(部員ではありません)。

ITエンジニアと食事会

東京支店コラム

どうも!最近エースコンバット7のオンライン対戦にハマっている東京支店の三浦です。

6月の末に普段はお客様先で作業をしている東京支店のITエンジニアと食事に行ってきました!

とても気さくなお二人で、アイアールに新しいエンジニアが入社したら自分が研修をしたり、タイミングが合えば採用面接に同席したい、また、現場で困っていることがあれば相談に乗ってあげたいなどとてもフレンドリーなお二人方です。

また、この時の食事会にはIT事業部のトップも参加しており、こういうアプリを作りたい、こういう会社にしたいなどIT事業部の今後の展望やエンジニアの将来の事(結婚したい?)などを談義していました。

まだまだ始まったばかりのIT事業部ですがどうぞよろしくお願い致します。
そして業務終了後の19時に駆けつけて下さったお二方、有難う御座います。

食事

ITエンジニアと私

鳶職人は昔のアイドル

東京支店コラム

今でこそ、全家庭にテレビが普及し、SNSなどで様々な情報が共有できる時代で、俗に言うアイドルと呼ばれる人たちが数多くいますが、100年以上前の情報が何も無い江戸時代はどうだったのでしょうか。

良く歌舞伎役者がその当時のアイドルだったと言われていますが、それ以上に人気が有ったのが、大工や鳶職人、火消し役人と言った外で活躍する男達だったようです。

やはり、外で働く男性は女性には大人気だったようですね。!(^^)!
大体において鳶職人には伊達者が多く、命を懸けて現場で働く威勢の良い男たちは江戸の女性の憧れの的でした。歌舞伎の様にお金を使わなくても会える男と言うことで、いつでも会えるアイドル的な存在だったのでしょうね。ある意味、今の時代のアイドルのコンセプトに近いような気がします。実際に武家の娘が実家を飛び出して鳶の男と駆け落ちしたと言う昔ばなしもあるくらいですから。

いつの時代も働く男は素敵に見えるものですね。
鳶職人

ラグビーワールドカップ

東京支店コラム

今年9月にラグビーのワールドカップが開催されます。
今回で9回目の開催ですが、何気に知らないかもしれませんが、日本代表は全大会に出場しています。
また、前回のリオオリンピックでも7人制ラグビーに出場しています。それだけアジアでのラグビーの地位は確固たるものなのです。
ある意味サッカーやバスケットのそれと比べると全然違いますね。

今や、世界規模にまで大きくなったラグビーですが、そもそも、どうやって生まれた競技なんでしょうか。

ラグビー発祥の地はサッカーと同じくイングランドで、ある日校庭でサッカーの試合中に興奮した子供がサッカーボールを手に持ってゴールに向かって走って行ってしまった事が始まりだと言われています。
(勿論これも諸説ありますが)

勿論、その時には、その走った子供は皆から激しく叱責されたでしょう。
手を使ってはいけない競技で堂々と手を使って走ったのですから。
その子自身も深く反省したと思います。
しかし、その中で、誰かが「これは面白い」と発想の転換でこれを競技として取り入れたのです。
そして今では、ワールドカップが開かれる程メジャーな競技になったのです。
その時にはとんでもない行為や言動であっても、発想の転換でいくらでも新しい物を産み出すと言う典型なのかもしれません。

これは、仕事でも言えるのではないでしょうか。
日常の業務の中で、突拍子も無い行動を起こしたり、言動が出たりする事が多々あると思います。
しかし、それも発送を転換して新しい考えとして柔軟に考えれば、それは素晴らしいものに成り得るのです。

私たちも日頃、仕事をするに当たって、全くだれも考えもしなかった考え、誰もが予想だにしなかった行動が見られた場合、単純に、それを非難するだけでなく、それらが今後の業務にどう活かせるのかを常に考える必要があるのではないでしょうか。

ラグビーワールドカップ

日本の元号

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平成も30年(31年かな?)で終わり、5月1日から令和の時代に入り、早1ヶ月が過ぎようとしています。この元号はいつから始まっているのでしょうか。

古くは645年大化が始まりとされています。今から1300年以上も前からですから歴史を感じます。では何故、元号を用いる様になったのか諸説様々ですが、元々は古代中国で使われていた風習を真似たもののようです。また、中国に限らず西洋ヨーロッパでも元号は存在していたそうです。

それでは何故、日本だけに元号の文化が残っているのでしょうか。これは日本の歴史を遡ると良く分かります。

古代社会では今の様な共和制や合衆国制、連邦制では無く、殆どの国が王制でした。古くは中国における秦の始皇帝から始まり、ローマ帝国のユリウスシーザー、またヨーロッパにはハプスブルク家やメディチ家と言った様々な王家がありましたが、歴史の中で殆ど全てと言って良いほど滅んだり衰退して行き、今ではその名残りしかありません。中国もしかり、秦から始まり漢、隋、唐、宋、元、明等、数多くの王朝が君臨し清を最後にそれは消滅してしまっています。そもそも元号とはその国の王が君臨する時代を表す為に作った物であって、その王家が滅びると必然的に無くなって行ったようなのです。
では日本はどうでしょうか。今回の皇位継承に伴い、今上天皇は初代の神武天皇から数えて126代目にあたります。つまり歴史の中で紆余曲折はあったものの、世界の国々の中で唯一日本だけが万世一系の王家を維持して来たと言うことなのです。王家が変わらないのですから元号もそのまま継続するのも当然と言えば当然なのです。

私たち日本人が何気に使っている元号。これは国の歴史を物語るのに非常に重要な証です。これからも、皇位継承毎に様々な元号が用いられると思いますが、この日本と言う国が続く限り永遠とつないで欲しいと一人の日本人として願うものであります。

日本の元号

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