コラム
建築会社で働くことのちょっとした知恵や
社員のブログを掲載中!
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名古屋支店コラム
こんにちは!アイアール広報です。
本日は令和初のプレミアムフライデー。そして
アイアールの目標であった技術者300名到達の日でもあります!すごい!!
これも普段働いている技術者の皆様のお声がけや、内勤社員のがんばりでもあります。
全員が会社の大きな目標に全力で立ち向かった成果だと思います。
設立から3年でこんな大勢の技術者を抱え込む会社なんてあったでしょうか!?
ここにありましたね!
さて、ではここでアイアール歴を振り返ってみたいと思います!
2015.01 アイアール設立
建設業を人気業種へ。というスローガンを抱え、人気職にすべく技術者300名という大きな数字をを目標に。
2018.11 技術者200名を突破。
残り100名とゴールは目前。
2019.01-02 大惨敗。
このままではだめだと今までの体制、働き方などを見直す。
同時にアイアールIT事業部もスタート。
2019.03 体制刷新。
内部の動きを変え、新しい船出で再スタート。
2019.05 大挽回
技術者300名を達成。物語は進む。
目標を達成したアイアールは今後第2章へ進みます。
今後も技術者社員の皆様へ還元できるよう頑張っていきたいと思います!
名古屋本店ではおめでとうランチとしてお弁当をみんなで食べました(^▽^)

東京支店コラム
2020年、いよいよ国民が楽しみにしている東京オリンピックが開催されます。
日本国内で開催されるオリンピックは1964年の東京、1972年の札幌、1998年の長野に次いで4回目となります。
アジアで4回もオリンピックが開催されるのは初めてで、世界でも2回以上オリンピックが開催された都市はアテネ、ロサンゼルス、ロンドン、パリと5都市しかありません。
それだけ、東京と言うのは世界でもある程度の地位を築いた都市と言えるのではないでしょうか。その中でも3回もオリンピックを開催する都市はロサンゼルス(2028年開催)のみです。しかし、実は3回目である事をご存じでしょうか。
歴史を遡ること、1964年から約20年以上前の1940年に東京オリンピックと札幌冬季オリンピックの開催が決定していたのです。しかし、前年に始まった第二次世界大戦、日米の関係悪化に伴い、このオリンピック開催を返上せざるを得ない状況に陥ってしまったのです。戦争でオリンピックの開催が中止になったのは1916年第6回大会ベルリン大会以来2度目でした(実際には1944年のロンドン大会も中止になった為3回)。中止になったいずれの都市が敗戦国と言うのが皮肉なものです。戦争は全ての物を不幸にしてしまいます。
オリンピックは世界平和の祭典と言われています。真の意味での世界平和が訪れるのがいつになるのかは未だ分かりませんが、せめてオリンピックの開催期間だけは世界中が平和になって欲しいものです。
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名古屋支店コラム
どうも名古屋のTです。
この前大阪支店に出張行った時に大阪営業にこんな問題を出されました。
似てるのか似てないのか分からんけど僕はすぐ分かりました。
正直声だけ聴いてるとサザエさんのアナゴさん(フグ田く~んの人)が何か言ってるな~くらいに思えるけどね。
みんなはわかるかな?
ヒントはドラゴンボール。
福岡支店コラム
こんにちは!今日は福岡支店からです〜!
今更ながらGWにUSJに名古屋本店のkさん、大阪支店のkさんと行ってきました(^^)
GWだけあって人・ひと・ヒトで混雑してました、、
九州から上陸した私からすると、世の中にはこんなに人がいるんだ〜いや、もっといるよね、、と二日酔いだったこともあり、クラクラしました💫笑
普通なら苦痛に感じる、べらぼうな待ち時間もひたすら喋り続けて満足満足(*’ω’*)♪
お土産は中身よりもカンカンが欲しくて大量に買ってしまいます。。
ただ、カンカンの使い道は見つからず。
USJに行く前日に、某支店長から
明日、名古屋のkさんと大阪のkさんとUFJ行くんやろ〜?
って言われて、
いや、なんで名古屋から来てもらってわざわざ一緒に銀行に行くんですか。
ってやりとりが個人的にツボでした。笑
そんなこんなで、インドアな私にとって、非日常的でリフレッシュして楽しい休日でした\(^ω^)/

東京支店コラム
こんにちは。アイアール須藤です。
今回は僕の地元の埼玉県川口市について紹介します。
埼玉県の「中央地域」と呼ばれる県南東部のJR京浜東北線・高崎線沿線地域(旧北足立郡地域)のうち、南端に位置する市の一つです。
北隣のさいたま市、南隣の東京都区部に挟まれた位置にあり、東京都の足立区と北区と隣接し、さらに西は蕨市と戸田市、東は越谷市と草加市にそれぞれ接してます。
川口における市街の形成は、江戸時代に日光御成街道の宿場が置かれていた川口宿(現:本町一丁目周辺)に端を発する。近代以降は、中心部において既に地場産業として根付いていた鋳物工業が、旧川口宿の東側・北東側を中心に集積・拡大し、川口は工業都市として発展しました。その一方、東京の都市域の拡大に伴い、宅地化も急速に進展した。近年、鋳物工場は新郷地区等への移転や廃業に伴って減少し、跡地の多くで超高層マンションをはじめとする高層の建築物が建てられています。なお、市の東部や北部は、今でも自然が残っています。
また、川口市で地理的な中央部にある鳩ヶ谷地域(旧鳩ヶ谷市)には江戸時代の旧鳩ヶ谷宿という、川口市の中央地区における旧川口宿とは異なる歴史や伝統があります。鳩ヶ谷駅東口の鳩ヶ谷本町付近においては歴史的な建築物や町並みが現在でも残存しています。人口増加による無秩序な市街地拡大を防ぐため、芝地区や戸塚地区では区画整理事業が進んでいます(埼玉県の土地区画整理事業一覧)。 東部地区(戸塚、神根、安行、新郷、鳩ヶ谷など)は大宮台地鳩ヶ谷支台が南北に走る高台になっています。それ以外の殆どの地域は低地であり(川口低地)、その低地は縄文時代において奥東京湾(鳩ヶ谷支台の西側の水域は「古入間湾」とも呼ばれる[2])の底であった(海面が現在よりも高く、河川による沖積・陸地化も進んでいなかった時代で、一般に縄文海進と呼ばれる)[3]。現在、低地部分は住宅地などの都市的な機能、台地部分は畑・樹木畑など近郊型農地としての土地利用が多いです。また、芝川が市域中央部を縦断するように流れてます。芝川は、市中央部で、新芝川に分かれています。
